このブログについて

はじめまして!当ブログの管理人です。

このブログは、古文・漢文と日本史のことを組み合わせて勉強をしてみようというものです。

なぜ古文・漢文と日本史をブログのテーマにしたかというと、学校での古文・漢文や日本史の学習はこのままで良いのか?と疑問を持ったからです。

ブログの開始にあたり、古文・漢文と日本史の学び(特に高校レベル)について、日本史の研究や高校での授業(地理歴史)の経験を踏まえ、私が思っていることを述べておきたいと思います。

私と同じように、学校での古文・漢文や日本史の学びかたに疑問を持っている方は、ご覧いただけると幸いです。

古文・漢文は苦手な人が多い

まず、古文・漢文についてです。高校生や受験生の人で、古文・漢文を苦手に思っている人は多いと思います。

では、その原因とは何なのか?個人的には以下の2つが大きな理由だと思います。

  1. 単語・文法を覚えることが辛い
  2. 興味が出ない

私は国語教員ではないのですが、大学院では日本史(古代・中世)の研究をしていました。史料の古文・漢文を少なからず読んできました。その経験を踏まえて、上の2つの原因と対応策について、個人的な考えを述べたいと思います。

なぜ古文・漢文の「単語・文法を覚えることが辛い」のか?

1つ目の「単語・文法を覚えることが辛い」ことの原因は、興味がない・読めるようになる必要を感じない、という状態で単語・文法を覚えさせられるためだと考えます。

自分も経験がありますが、高校生では1年生からよくわからないまま、単語の活用や助動詞を呪文のように覚えさせられ、「これは何なんだ?」と思っていました。(ただ自分は、担当の古典の先生は好きだったので、古文・漢文がそこまで嫌いではなかったです)

ただ単語・文法を覚えることは、古文・漢文を読むことに必要なので、高校の授業なんかでは最初にやるしかないんですよね。

大学受験予備校の四谷学院さんのホームページでも、「古文の正しい学習法」として次のように言っています。

古文が読めるようになるためには、大きく二つのことが必要です。一つ目は単語や文法の知識を身につけること。二つ目は本文のストーリーを正確に理解するために主語に着目しながら読解することです」(古文 – 四谷学院の難関大合格への正しい勉強法がわかる本 (yotsuyagakuin.com)

これを参考にすれば、古典の学習においては、古文・漢文が読めるようになることがゴールで、単語・文法の勉強はそのゴールに到達するための練習ということになるでしょうか。

ただし、ここで考えたいのは、興味がないゴールに到達しようと思うか?ということです。

例えばスポーツでも、野球をやることに興味がない人が、試合に出るために野球の練習をしようと思うでしょうか?極端な例かもしれませんが、古文・漢文を読むことに興味がない人が、単語・文法の勉強をするのか?というのも同じようなことだと思います。

もちろん古文・漢文に興味がなくても、最初から「受験のため!」と思って勉強できる人であれば問題はないです。しかし、現実にはそのような人ばかりではありません。

このように、「単語・文法を覚えることが辛い」ことの原因は、興味がない・読めるようになる必要を感じない、という状態で単語・文法を覚えさせられるためだと考えます。

なぜ古文・漢文に「興味が出ない」のか?

2つ目の、古文・漢文に「興味が出ない」ことの原因は、次のような流れになるからではないでしょうか。

① 読めるようになりたいと思っていない
 →② ①の状態なのに意味不明な単語や文法を覚えさせられる
  →③ 古文・漢文に興味が出ない・嫌いになる

この流れには、先ほどの「単語・文法を覚えることが辛い」ことが関わっていると考えます。

古文・漢文が苦手な人が多い理由を上の流れのように考えると、まずは①の「読めるようになりたいと思っていない」状態を解決することが重要なのではないか、と思います。

古文・漢文の学習方法について

そこで、私は以下の学習方法を提案します。

①現代語訳の文章で読み始める
②日本史の学習と組み合わせる

古文・漢文の文章は、現代語訳で読めばいい

まず、①の現代語訳の文章で読み始めるについてです。現代語訳の文章で読むことで、話の内容を理解したり考察したりすることに集中できるメリットがあると思います。

現代語訳で読んでみて、そこに書いてあることに興味を持ってから、実際の古文・漢文を読むということをすればいいと考えます。

学校の授業であれば、現代語訳で話の内容を理解する→いくつか注目する内容をとりあげて部分的に訳を考える、という流れになるでしょうか。とりあげた部分で、いくつか単語や文法の知識をやればいいのではないかと思います。単語・文法のチェックのために古文・漢文を読むということではなく、古文・漢文に”書いてあることを考えるため”に、単語・文法を理解しようとする方法です。

ただし私は、無理して実際の古文・漢文を読むところに到達しなくてもいいと考えます。なぜなら、古文・漢文に”書いてあることを考えるため”には、現代語訳でもいいと考えるからです(もちろん専門的な学術研究は除く)。

単語・文法を無理に理解する必要がない、とすれば、古文・漢文を学ぶハードルを下げることができると思います。

そして、話の理解や考察に集中することで、「昔の人はなぜこのように思っているのだろう」と、今とは異なる価値観に注目したり、「本当にこの理解でいいのだろうか」などと、書いてある情報にいろいろな視点を持つような考え方をすることにつなげられると思います。こうした学びをすることで、学校で古文・漢文を学ぶ意味が出てくるのではないでしょうか。少なくとも、何も考えずに単語・文法から学んでいくよりは。

このように現代語訳の文章で読むという学習方法であれば、単語・文法に気をとられず、話の内容を理解したり考察したりすることに集中できると思います。

日本史の学習と組み合わせる

②の日本史の学習と組み合わせるについてですが、日本史の学習で古文・漢文の史料を使用する、という方法になります。

歴史への興味を利用して古文・漢文の史料を読むことにつなげる、というものです。

例えば、有名な歴史的出来事がどのように史料に書かれているのかをみる、といった学習方法が考えられます。

  • 聖徳太子の超人的な伝説はどのように史料に書かれているのか?
  • 御成敗式目にはどんな内容があるのか?
  • 明智光秀の裏切りはどのように史料に書かれているのか?

など、よく知られた事について実際の史料を確認して色々と考えてみる、といったことができると思います。このような方法であれば、日本史に興味がある人を、古文・漢文に引きつけることが可能ではないかと考えます。

また、古典の授業であつかわれる中世の説話集などの文学作品からは、当時の社会や人々のようすを読み取ることも可能です。

ただし、こちらもまずは現代語訳の史料を使用すれば良いと思います。史料の内容を考えることを優先すべきです。特にとりあげたい部分だけ実際の古文・漢文をみて考える、という方法でも良いのではないでしょうか。

私はこのような、歴史のことを知りたい(歴史の学習への興味)→古文・漢文を読んでみる、という意識の学習方法も提案したいと思います。

「日本史探求」の授業で古文・漢文の史料を読む

3-2で述べたような日本史の学習で古文・漢文の史料を使用することは、 2022年度から高校で実施された学習指導要領に定められている歴史科目の「日本史探求」の学習で利用できる方法だと考えます。

史資料の読解や比較、史資料から読み取ったことをもとに「問い」をたてること、などが探求授業では求められているといえます。

国語と地理歴史という教科の枠を越えた学習方法も、これからは積極的に取り組むべきではないでしょうか。

おわりに

以上、ブログの開始にあたって、古文・漢文と日本史の学びについて、個人的な意見を雑に述べてしまいました。

このブログは私自身のこれからの学びや活動のための覚え書きという感じで、まずは記事を書いていければいいなあと思っております。

そしてその延長で、いつかもしこのブログの記事を見てくださる方がいらっしゃって、ご意見やご批判を頂けるようになるのが遠い目標です。

よろしくお願いいたします。

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